宇宙の

いつもの街で、仕事をして、映画を観て音楽を聴いて、食事をして、友達と遊んで、家庭を持って、好きに眠る。それでいい。

 

だけど本当は、僕は「彼ら」に操られていて、気がついたらいつも、何か新しいものに晒される。宇宙を遠くから見張る「彼ら」は、とてつもなく強大で不可思議なパワーを使って、僕に未知の何かを差し向けてくる。

結局、僕はいつか心臓が止まるまで、「彼ら」の気まぐれに流され続けていくだけだ。

 

そうなったら、こんな宇宙はくそくらえってことになるんだけど、こんな思考に陥るたび、僕はすぐにでも宇宙の果てまで飛んで行きたくなる。そして最後には、宇宙の果てしなさを想像して、言いようのない悲しさに包まれる。

で、そうこうしている間にも、僕はその未知の何かに親しみ始めていて、生まれたときからずっと一緒にいたことになっていて、そもそも何が未知なのかさえも意識しなくなってしまうだろう。どうしようもないね。

 

だから僕は、「どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛する」ことができれば、それでいい。それがいいと思っている。

 

もうすぐ、いつも通り新しい生活がやってくる。これからもよろしく、自分。

 

工事の

工事の音で目を覚まし天井を眺めている 止まってしまった目覚まし時計 陽気な歌に乗せられてTシャツのシワを伸ばす 昨夜の記憶はおぼろげに 流れる雲に引っ張られ夏の匂いを置いていく 耳鳴りはまだ止まらない 信号機の点滅が人の波を急かしている 相変わらず太陽は高い 明るみ始めた空 初めて飲んだ酒の味 なんとか思い出してはみるけれど 回送バスに追い抜かされたよ 今日はなんだかペダルが重いのさ

 

光害

さあ もう前を向こう 散瞳を待たず 空を切るような後悔も 両手いっぱいの想いも 透いた声も届かなくて 大気は厚いさ 君が笑い出す 前は ああ 歪んでいく形相に夜目は利かず 「急いでよ」 「急いでるよ!」 郊外へと向かおう 工事の音はもう聞こえない ほら 月が欠けていく 足元は見えてないな 街を外れ そこでジッと待っている

「B'zの…

この前帰省したとき、夕飯を食べながら「笑ってコラえて」を見ていたら、その中で

「実は『初老』は40歳くらいの人のことを意味する」

というナレーションが流れた。

 

すると妹が、「じゃあお母さんもお父さんも50過ぎてるし、もう『老人』じゃん」と言った。

「たしかにそうなっちゃうね〜」と母が笑った。

フォローするタイミングを逃した僕は、そっと父の方に目をやった。父は、ザ・苦笑いといった感じで、なんとも言えない表情を浮かべていた。

 

僕がフォローし損ねたのは、妹の発言にどこか納得してしまったからだろう。

最近は、両親、特に父に老いを感じる場面が増えたように感じる。何か思い通りにいかないことがあると、面白くないとばかりにため息とボヤキが増える。典型的な田舎のおじさんだ。

 

数日後、そんな父とB'zのライブに行った。

 

僕はそこそこなB'zファンだ。正直、最近の活動はあまり追い切れてないけど、10代の頃は、父が集めたB'zのCDやDVDを引っ張り出してはよく部屋にこもって、彼らの音楽を聴き漁っていたし、ライブも毎年のように父と一緒に見に行っていた。中学の卒業文集では、ボーカルの稲葉さんの名言を引用してしまったこともある。

 

その日はB'zの30周年記念ツアーの最終日だったこともあって、最新の曲から昔の名曲まで、彼らは幅広く演奏してくれた。

そのおかげで、ライブは十分に楽しむことができた。

 

 

ライブ中、興奮する瞬間はたくさんあったけど、その中でも、聴いていて鳥肌が止まらなかった曲がある。

https://music.apple.com/jp/album/real-thing-shakes-single/1560086676

聴けばわかるけど、この曲はボーカルのキーが殺人的に高い(松本さんのギターもキレキレだけど、割愛)。

 

 

稲葉さんは父より3歳年上で、今年で54歳だ。

妹に言わせれば「老人」だ。

はっきり言ってこんな曲、とても50過ぎの老人が歌うような代物じゃない。

 

でも、だからこそ、「今目の前のステージで、デビュー30周年を迎えた老人が、若い頃のギラギラの塊のようなこの曲を全力で歌っている」という事実に、僕はバチボコに目を見張ってしまったし、それと同時に、なぜかとても嬉しくなった。

 

なんだ、いいじゃん「老人」。全然かっこいいじゃん。

 

 

 

ライブ後、都内のホテルに向かう車内では、父が、カーナビの難解な案内に振り回され、いつも通りボヤいていた。

「なんだよ『次の信号を左手前』って。いや『左』はわかるけどさ。『手前』って何よ。」

 

「『老人』じゃん。」

 

妹の台詞を飲み込んだ僕は、笑いをこらえながらスマホを取り出してグーグルマップを開き、案内を開始した。

白い月の真ん中の

少し前、あるバンドが解散した。

僕の地元の同級生が、中学の頃から組んでいたバンドだった。

 

 

僕は当時から、そのバンドが好きだった。

特に、彼らがコピーするブルーハーツの「月の爆撃機」が大好きだった。どうしても自分でも弾いてみたくて、中学卒業直後、ギターを始めた。

 

 

高校を卒業してからは、東京や埼玉を中心に活動していたようだけど、決して売れてはいなかったみたいだ。

彼らの解散に対する悲しみの声とかも、SNSを見る限りではほとんどなかった。

 

 

 

でも、僕はまだ、彼らが教えてくれたブルーハーツが好きだ。

「月の爆撃機」のコードも、まだ覚えている。

 

あのバンドのぬくもりが残っていて、今も僕を照らしてくれている気がする。

 

 

 

僕も今、バンドを組んでいるけど、それももうすぐ終わってしまう。

 

寂しいけど、悲しくはない。

これまでの思い出とか、優しさとかが、全部ぬくもりとして残って、僕を照らす光になるだろうから。

 

いや、そんな気がするだけ。

茜色の

普通の大人になりたくなかったから、始めた音楽があって。
でも、それを不安視している自分がいて。
片や、そのなりたくなかった大人になって行く人たちが、妙にすごい幸せそうで、そういう人たちが逆に羨ましかったりして、また不安になったりして。

こんなことを言ったミュージシャンがいた。



僕は、保育園から高校まで、田舎の小さい村の実家で暮らした。
ずっと、外へ外へ飛び出したかった。
今思うと、自分が思う普通の大人になりたくなかったのかもしれない。



「普通」は難しい。

僕にとっては普通なことが、あなたにとっては特別なことかもしれない。もちろんその逆も。

良いオチをつけるためだけに生きたくはないけど、とりあえず自分だけの特別を見つけられたらー

 

中国行きの

 一度だけ、留学生と友達になったことがあった。

 

中国人。おでこが広くて髪の長い女の人。自分がまだ19のときで、その人はたしか25だったから、正直、友達と呼んでいいのかもよくわからない、遥か大人の女性って感じだった。

 

 

4月。大学の講義で知り合った。講義の内容は、毎回、指定された日本の文学を読んで、感想をグループで話し合うというものだった。

村上春樹の「象の消滅」という短編について、二人一組でレポートを書くことになった。彼女の日本語を添削してあげたり、日本のバンドを教えてあげたりするうちに、少し仲良くなった。

 

 

松島に行ってみたいと言われて、行くことにした。

朝から雨だった。入った定食屋で食べた天ぷらも、ちょっと湿気っていた気がする。

昼過ぎに遊覧船に乗った。なんとか雨は止んでいたけど、海は霧が立ち込めていて、景色は最悪だった。話すこともなくなって、あったかい船内でぼーっとしていたら、ついうたた寝してしまった。一瞬の船旅だった。

 

 

梅雨が過ぎ、前期が終わり夏休みに入って、久しぶりに会った。

来週帰国すると急に告げられて、びっくりを通り越して笑ってしまった。

 

 

その人は、故郷に帰って行った。

 

 

 

 

最後に会ったとき、前に貸していた the chef cooks me のアルバムを返すのと一緒に、中国の茶葉とポストカードをくれた。

 

お茶はあんまりおいしくなくて、全部使い切らないうちに悪くなってしまった。

 

ポストカードには、日本語、英語、中国語でメッセージが書かれていた。

日本語の部分には、一緒に遊べて楽しかったと書いてあった。

英語の部分には、またいつか会いましょうと書いてあった。

 

中国語の部分は、「謝謝」以外、なんて書いてあるのか、いまだに読めていない。